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『今日までのこと。』、最後は地震について自分なりに考えたこと、感じたことをまとめてみたいと思います。
個人的な主観で述べている部分もありますので、ご意見も多々あるかと思いますが、意見の一つとしてお読みいただければ幸いです。
この数年のうちに99%の確率で来ると言われていた、宮城県沖地震。
これほどまでに高い確率を示されていたにもかかわらず、「いつかはいつか」 と軽く考えていたうちに、今回被災しました。
思えばこの地震の数日前に、大きな地震があったばかりでした。
そのときも 「近いうちに来たりしてね」 なんて笑いながら職場で話していました。
以前からこのことが報じられていたこともあり、宮城県は防災意識が比較的高く、個人で防災グッツを用意していた人も少なくありません。
しかし、私は何も準備していませんでした。
懐中電灯、電池、水、食料、車用携帯充電器、ラジオ、カセットコンロ。
何ひとつ、です。
「一人暮らしだから、いつかのために使うものを置いておくスペースなんてない」 という言い訳が招いた結果は、これまで書き記した内容の通りです。
一か月を乗り切り、無事に今日を迎えられたのは、支えてくれた人がいるおかげ。
家族や友人、同僚の助けがあってこそです。
被災者となって初めて一人の現実と、「人は一人で生きているんじゃない」 という言葉の意味を痛切に感じました。
震災後、熊本ナンバーの救急車や、呉ナンバーの給水車を見ました。
家族から離れ、はるばる遠方のこの被災地へ、全国から力を貸しに来て下さっている。
そのことを知って、テレビやラジオの中で聞くだけでなく、被災地へたくさんの救援の手が差し伸べられていることを実感し、胸が熱くなりました。
ご支援下さった全国のみなさんに心から感謝します。
また、ライフラインの復旧に昼夜を問わず今も全力を尽くされている方々にも、感謝の気持ちでいっぱいです。
予測されていた時間よりも早期にライフラインが復旧した陰に、こういった方の尽力があったことは決して忘れてはいけないと思います。
感謝の気持ちのその一方で、ふと罪悪感が生まれました。
沿岸部より被害が少なかったことで、わずか1か月でほぼ元の生活が可能となったこと。
暖かい家があって、お風呂にも入れて、水や食料も現在は確保できている状態にある自分を、果たして堂々と「被災者」と言っていいものかと。
「大変だった」 という言葉を口にしていいものかと。
震災後、義援金活動をした人。
ボランティアに応募し、活動している人(応募者多数で締め切ることもあったと聞きます)。
身近の困っている人に、手を差し伸べる人。
歌を歌って励ます人、スポーツを通じて応援する人。
支援のかたちは人それぞれです。
寄せられたたくさんの支援に、罪悪感を感じるのではなく、自分ができることをすることも一つの方法であると、本当の意味で気づかされた思いです。
分かっていたようで、実行していたようで、そうでなかった。
また、被災地に暮らす者としては、以前の生活をしようとする行為のそれ自体が、復興に繋がるのだと信じています。
元通りに店を開く、買物をする。
この例ひとつとっても、震災前の 「普段」 に近づく一歩だからです。
震災後、各地で大きなイベントや公演が中止、延期されたと聞きました。
この状況の中、自粛ムードが広がっていますが、個人的には被災地に過剰な遠慮はせずに過ごしていただければとありがたいと思っています。
今回の震災の被害は甚大で、復興には長い長い時間が必要です。
被災地だけでなく、日本全体が活気を取り戻さない限り、復興はありえません。
日本経済が元気になるためには、自粛は逆効果になりかねません。
被災者に遠慮する気持ちは、あなたの 「良心」 や 「優しさ」 です。
自分を棚に上げるつもりはないのですが、こういった気持ちを忘れない限り、例えば先ほども述べた節電や節水という、身近な支援という行為に繋がるのではないかと思います。
また、直接的な被災地ではないところで 「買占め」 が起きている地域もあると聞きました。
失礼を承知であえて言いますが、そういう行為が起きるのは被災地でないからだと思います。
厳しい状況になればなるほど、みんなで協力したり、思いやりを持たないと生きて窮地を乗り越えていくことはできません。
たとえ一度も話したことのない赤の他人であっても、です。
そのことに、どうか気づいてほしいと思うのです。
そして、デマや風評に惑わされないためにも、正しい情報と知識を得ようと努力する。
このことが困難な状況を乗り切るために、まず必要なことなのではないでしょうか。
他人事と思わずに、一度じっくり考えてみることも、また。
4月10日現在、まだ余震が続いています。
再び先日の規模の余震が来るとも言われています。
日本のほかの地域で、大きな地震が来る確率も低くはないと聞きます。
犠牲や被害は大きかったけれども、それを教訓に学ぶ知恵が、人間にはあると思っています。
現在も厳しい避難所生活をしている方、原発の被害に遭っている方がたくさんいます。
目先の平穏にその現実を忘れず、今後は私もできることから一つずつ、支援に繋がることをしていかなくてはと思っています。
がんばれ、日本。
がんばれ、東北。
生まれ育った岩手も、今暮らしている宮城も、伯母やいとこが暮らす福島も。
今回被害を受けた地域や人々すべてが笑顔でいられる平穏な生活が、一日も早く戻ることを切に願ってやみません。
最後に被災者の一人として、支援いただいた全国のみなさんにこの場を借りて感謝いたします。
本当にありがとうございます。
2011年4月10日
琳桜
個人的な主観で述べている部分もありますので、ご意見も多々あるかと思いますが、意見の一つとしてお読みいただければ幸いです。
この数年のうちに99%の確率で来ると言われていた、宮城県沖地震。
これほどまでに高い確率を示されていたにもかかわらず、「いつかはいつか」 と軽く考えていたうちに、今回被災しました。
思えばこの地震の数日前に、大きな地震があったばかりでした。
そのときも 「近いうちに来たりしてね」 なんて笑いながら職場で話していました。
以前からこのことが報じられていたこともあり、宮城県は防災意識が比較的高く、個人で防災グッツを用意していた人も少なくありません。
しかし、私は何も準備していませんでした。
懐中電灯、電池、水、食料、車用携帯充電器、ラジオ、カセットコンロ。
何ひとつ、です。
「一人暮らしだから、いつかのために使うものを置いておくスペースなんてない」 という言い訳が招いた結果は、これまで書き記した内容の通りです。
一か月を乗り切り、無事に今日を迎えられたのは、支えてくれた人がいるおかげ。
家族や友人、同僚の助けがあってこそです。
被災者となって初めて一人の現実と、「人は一人で生きているんじゃない」 という言葉の意味を痛切に感じました。
震災後、熊本ナンバーの救急車や、呉ナンバーの給水車を見ました。
家族から離れ、はるばる遠方のこの被災地へ、全国から力を貸しに来て下さっている。
そのことを知って、テレビやラジオの中で聞くだけでなく、被災地へたくさんの救援の手が差し伸べられていることを実感し、胸が熱くなりました。
ご支援下さった全国のみなさんに心から感謝します。
また、ライフラインの復旧に昼夜を問わず今も全力を尽くされている方々にも、感謝の気持ちでいっぱいです。
予測されていた時間よりも早期にライフラインが復旧した陰に、こういった方の尽力があったことは決して忘れてはいけないと思います。
感謝の気持ちのその一方で、ふと罪悪感が生まれました。
沿岸部より被害が少なかったことで、わずか1か月でほぼ元の生活が可能となったこと。
暖かい家があって、お風呂にも入れて、水や食料も現在は確保できている状態にある自分を、果たして堂々と「被災者」と言っていいものかと。
「大変だった」 という言葉を口にしていいものかと。
震災後、義援金活動をした人。
ボランティアに応募し、活動している人(応募者多数で締め切ることもあったと聞きます)。
身近の困っている人に、手を差し伸べる人。
歌を歌って励ます人、スポーツを通じて応援する人。
支援のかたちは人それぞれです。
寄せられたたくさんの支援に、罪悪感を感じるのではなく、自分ができることをすることも一つの方法であると、本当の意味で気づかされた思いです。
分かっていたようで、実行していたようで、そうでなかった。
また、被災地に暮らす者としては、以前の生活をしようとする行為のそれ自体が、復興に繋がるのだと信じています。
元通りに店を開く、買物をする。
この例ひとつとっても、震災前の 「普段」 に近づく一歩だからです。
震災後、各地で大きなイベントや公演が中止、延期されたと聞きました。
この状況の中、自粛ムードが広がっていますが、個人的には被災地に過剰な遠慮はせずに過ごしていただければとありがたいと思っています。
今回の震災の被害は甚大で、復興には長い長い時間が必要です。
被災地だけでなく、日本全体が活気を取り戻さない限り、復興はありえません。
日本経済が元気になるためには、自粛は逆効果になりかねません。
被災者に遠慮する気持ちは、あなたの 「良心」 や 「優しさ」 です。
自分を棚に上げるつもりはないのですが、こういった気持ちを忘れない限り、例えば先ほども述べた節電や節水という、身近な支援という行為に繋がるのではないかと思います。
また、直接的な被災地ではないところで 「買占め」 が起きている地域もあると聞きました。
失礼を承知であえて言いますが、そういう行為が起きるのは被災地でないからだと思います。
厳しい状況になればなるほど、みんなで協力したり、思いやりを持たないと生きて窮地を乗り越えていくことはできません。
たとえ一度も話したことのない赤の他人であっても、です。
そのことに、どうか気づいてほしいと思うのです。
そして、デマや風評に惑わされないためにも、正しい情報と知識を得ようと努力する。
このことが困難な状況を乗り切るために、まず必要なことなのではないでしょうか。
他人事と思わずに、一度じっくり考えてみることも、また。
4月10日現在、まだ余震が続いています。
再び先日の規模の余震が来るとも言われています。
日本のほかの地域で、大きな地震が来る確率も低くはないと聞きます。
犠牲や被害は大きかったけれども、それを教訓に学ぶ知恵が、人間にはあると思っています。
現在も厳しい避難所生活をしている方、原発の被害に遭っている方がたくさんいます。
目先の平穏にその現実を忘れず、今後は私もできることから一つずつ、支援に繋がることをしていかなくてはと思っています。
がんばれ、日本。
がんばれ、東北。
生まれ育った岩手も、今暮らしている宮城も、伯母やいとこが暮らす福島も。
今回被害を受けた地域や人々すべてが笑顔でいられる平穏な生活が、一日も早く戻ることを切に願ってやみません。
最後に被災者の一人として、支援いただいた全国のみなさんにこの場を借りて感謝いたします。
本当にありがとうございます。
2011年4月10日
琳桜
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