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えらく久しぶりなブログです。
自分ではじめておきながら、自分でも訪れなくなったブログ(笑)。
最近はツイッターに慣れてしまって・・・あるつぶやきに、144文字に慣れてしまって文章を書くことを忘れる、というのを目にしたんですよね。
それはある!一理ある!たとえ他愛のない戯言でもね!
ということで、2年ぶりぐらいに最近読んでハマっている作品のことをちょこっと書きに来ました。
「昭和元禄落語心中」
とある漫画賞を受賞し、今、アニメ化もされているこの作品。
タイトルを知ってはいたけど、実際に手に取って読むまでは時間がありました。
きっかけは、あー様こと石田彰さんが、雑誌のグラビア表紙を飾ったこと。
あの石田さんが!孤高を貫く石田さんが奇跡だよ!!とツイッターをざわつかせた、あの着物姿の石田さんです。
声優さんなら誰もがそうなのでしょうが、ストイックすぎるほどに芝居をするということにこだわるがゆえに、あまりグラビアに登場することもなく、作品に対して多くを語らない人が起こしたミラクル(笑)。
石田さんの、この作品に対するなみなみならぬ熱意を感じますよね。
で、役どころはというと、八代目 遊楽亭八雲という、昭和のただひとりとなった名人落語家。
偏屈で弟子を取らないことでも有名な八雲のところに、刑務所を出所したばかりの元チンピラ・与太郎が弟子入りをするところから物語がはじまります。
この与太郎、わかりやすいほどわかりやすいワンコ系(笑)。
ただもう純粋に八雲が好きで、落語が好きで弟子になりたいと懇願します。
それに対してどういうわけか、弟子入りを許可する八雲。
どうして弟子を受け入れたのか、与太郎に惹かれたのか。その理由は徐々に明かされていくわけですが・・・・なんと、私まだ3巻までしか読んでない!(笑)
それでもなぜこれだけ惹かれるかって、まず1巻の表紙ですよね。
主人公=与太郎としてはじまる物語が、実は真の主人公は八代目八雲だったという。
1巻の表紙が八雲なのにはそんな理由があったんですね。
で、普通おじさんが表紙ってあまりそそられないじゃないですか。
とくに重要なはじまりの1巻ですしね。
だけど、この表紙はちがった!
真っ黒な背景の中に、燭台に灯る1本の蝋燭と演じる八雲。これだけです。
たぶん演じているのは「死神」なんだと思うんですが、この居住まい。
演じるための背景ではなく、八雲の背負ってきた人生そのものと掛けているんですね。
兄弟弟子であり、無二の親友であり、ライバルであった二代目助六(故人)を背負い続け、縛られた人生を。
大失態を冒し、いったんは破門を言い渡された与太郎ですが、3つの条件を飲むことを約束に、もう一度弟子入りを許されます。
その与太郎と、八雲を父・助六の仇と信じ、憎んでいる小夏。
ふたりに語る、八雲と助六の数奇な縁と人生とは――。
陽気でおもしろおかしく、みんなを笑わせるための落語をめざす助六。
自分が自分でいるために、自分の居場所のために演じる八雲。
性格から立ち振る舞いまで、なにもかもが正反対でありながら、型にとらわれず自由な大衆落語で落語というものを残していきたいと考える助六と、これまで綿々と伝えられてきた伝統ある落語を守りたい八雲。
落語という文化を、後世に伝えていきたいという熱い思いは同じなのです。
一見、正反対者同士の友情を描いたようでありながら、そこに自らの芸について模索していく中で複雑な愛憎が生まれていくのがこの作品の大きなみどころ。
なぜ八雲は故・助六を追いかける小夏と、助六に憧れめざそうとする与太郎をはげしく否定し、突き放すのか。
3巻までしか読んでいない中でも、その理由が徐々に見えてきます。
八雲が与太郎に約束させた3つ目の条件、「アタシより先に死なないこと」。
ここに集約されていた気がするんですよ。
芸なんてものは後生大事にしたってしかたない。身近でなくなればそれで終わり。それでいいのだという言葉に。
助六は絶頂期でこの世を去ってしまい、あとに自分ひとりが残された。
どんなに天才でも亡くなってしまえばすべて終わり。芸はその人が持って行ってしまって、残らない。
だから、軽はずみな猿真似に対して容赦ないんですね。
尊敬し、自分が持っていないものに憧れ、ときに憎んだ(それでも憎みきれないでいるけど)親友・ライバルの存在が今でも大きすぎるからこその、八雲の思い。
その思いはときに助六の亡霊となって、八雲の目の前に現れます。
ただ、好きだ嫌いだ、仲が良かった悪かっただけでは言い切れない、心の奥に秘めた複雑な感情が、今の八雲の魅力につながっています。
そう! 一言でいうなら、八雲というおじさまがとても格好いいんです。
ああでも軽いな、この言葉。
なんというか、愛憎入り混じった複雑で繊細な性格が、壮年でありながら何とも言えない強烈な色気を帯びているんですよ!
自分の居場所を強く感じるためには、自らを孤独に追い込む。居場所を欲するがゆえに、その芸が磨かれていく。
このストイックなまでの落語への情熱が、たまらない・・・!
こんな素敵なおじさま、いる!?っていう(笑)
それと、噺家さん特有の、江戸っ子口調も粋で素敵。
そうです、八代目八雲が大好きです!(笑)
昭和元禄落語心中は昭和50年代ではじまる物語で、それにあわせてなのか漫画の描写もちょっと懐かしい表現があったりします。
無理に今風の描写にしないところが、この作品の味になっていると思います。
八雲と助六、二人の因縁が昇華される日が来るのか・・・・なにしろまだ3巻までしか読んでいないので(笑)。
うっかりなことにウィキ先生であらすじを読んでしまったんですが、それでも4巻以降が楽しみです。
早く買ってこなくては!
自分ではじめておきながら、自分でも訪れなくなったブログ(笑)。
最近はツイッターに慣れてしまって・・・あるつぶやきに、144文字に慣れてしまって文章を書くことを忘れる、というのを目にしたんですよね。
それはある!一理ある!たとえ他愛のない戯言でもね!
ということで、2年ぶりぐらいに最近読んでハマっている作品のことをちょこっと書きに来ました。
「昭和元禄落語心中」
とある漫画賞を受賞し、今、アニメ化もされているこの作品。
タイトルを知ってはいたけど、実際に手に取って読むまでは時間がありました。
きっかけは、あー様こと石田彰さんが、雑誌のグラビア表紙を飾ったこと。
あの石田さんが!孤高を貫く石田さんが奇跡だよ!!とツイッターをざわつかせた、あの着物姿の石田さんです。
声優さんなら誰もがそうなのでしょうが、ストイックすぎるほどに芝居をするということにこだわるがゆえに、あまりグラビアに登場することもなく、作品に対して多くを語らない人が起こしたミラクル(笑)。
石田さんの、この作品に対するなみなみならぬ熱意を感じますよね。
で、役どころはというと、八代目 遊楽亭八雲という、昭和のただひとりとなった名人落語家。
偏屈で弟子を取らないことでも有名な八雲のところに、刑務所を出所したばかりの元チンピラ・与太郎が弟子入りをするところから物語がはじまります。
この与太郎、わかりやすいほどわかりやすいワンコ系(笑)。
ただもう純粋に八雲が好きで、落語が好きで弟子になりたいと懇願します。
それに対してどういうわけか、弟子入りを許可する八雲。
どうして弟子を受け入れたのか、与太郎に惹かれたのか。その理由は徐々に明かされていくわけですが・・・・なんと、私まだ3巻までしか読んでない!(笑)
それでもなぜこれだけ惹かれるかって、まず1巻の表紙ですよね。
主人公=与太郎としてはじまる物語が、実は真の主人公は八代目八雲だったという。
1巻の表紙が八雲なのにはそんな理由があったんですね。
で、普通おじさんが表紙ってあまりそそられないじゃないですか。
とくに重要なはじまりの1巻ですしね。
だけど、この表紙はちがった!
真っ黒な背景の中に、燭台に灯る1本の蝋燭と演じる八雲。これだけです。
たぶん演じているのは「死神」なんだと思うんですが、この居住まい。
演じるための背景ではなく、八雲の背負ってきた人生そのものと掛けているんですね。
兄弟弟子であり、無二の親友であり、ライバルであった二代目助六(故人)を背負い続け、縛られた人生を。
大失態を冒し、いったんは破門を言い渡された与太郎ですが、3つの条件を飲むことを約束に、もう一度弟子入りを許されます。
その与太郎と、八雲を父・助六の仇と信じ、憎んでいる小夏。
ふたりに語る、八雲と助六の数奇な縁と人生とは――。
陽気でおもしろおかしく、みんなを笑わせるための落語をめざす助六。
自分が自分でいるために、自分の居場所のために演じる八雲。
性格から立ち振る舞いまで、なにもかもが正反対でありながら、型にとらわれず自由な大衆落語で落語というものを残していきたいと考える助六と、これまで綿々と伝えられてきた伝統ある落語を守りたい八雲。
落語という文化を、後世に伝えていきたいという熱い思いは同じなのです。
一見、正反対者同士の友情を描いたようでありながら、そこに自らの芸について模索していく中で複雑な愛憎が生まれていくのがこの作品の大きなみどころ。
なぜ八雲は故・助六を追いかける小夏と、助六に憧れめざそうとする与太郎をはげしく否定し、突き放すのか。
3巻までしか読んでいない中でも、その理由が徐々に見えてきます。
八雲が与太郎に約束させた3つ目の条件、「アタシより先に死なないこと」。
ここに集約されていた気がするんですよ。
芸なんてものは後生大事にしたってしかたない。身近でなくなればそれで終わり。それでいいのだという言葉に。
助六は絶頂期でこの世を去ってしまい、あとに自分ひとりが残された。
どんなに天才でも亡くなってしまえばすべて終わり。芸はその人が持って行ってしまって、残らない。
だから、軽はずみな猿真似に対して容赦ないんですね。
尊敬し、自分が持っていないものに憧れ、ときに憎んだ(それでも憎みきれないでいるけど)親友・ライバルの存在が今でも大きすぎるからこその、八雲の思い。
その思いはときに助六の亡霊となって、八雲の目の前に現れます。
ただ、好きだ嫌いだ、仲が良かった悪かっただけでは言い切れない、心の奥に秘めた複雑な感情が、今の八雲の魅力につながっています。
そう! 一言でいうなら、八雲というおじさまがとても格好いいんです。
ああでも軽いな、この言葉。
なんというか、愛憎入り混じった複雑で繊細な性格が、壮年でありながら何とも言えない強烈な色気を帯びているんですよ!
自分の居場所を強く感じるためには、自らを孤独に追い込む。居場所を欲するがゆえに、その芸が磨かれていく。
このストイックなまでの落語への情熱が、たまらない・・・!
こんな素敵なおじさま、いる!?っていう(笑)
それと、噺家さん特有の、江戸っ子口調も粋で素敵。
そうです、八代目八雲が大好きです!(笑)
昭和元禄落語心中は昭和50年代ではじまる物語で、それにあわせてなのか漫画の描写もちょっと懐かしい表現があったりします。
無理に今風の描写にしないところが、この作品の味になっていると思います。
八雲と助六、二人の因縁が昇華される日が来るのか・・・・なにしろまだ3巻までしか読んでいないので(笑)。
うっかりなことにウィキ先生であらすじを読んでしまったんですが、それでも4巻以降が楽しみです。
早く買ってこなくては!
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