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  ステキ作品(BL含)と声に愛を。・・・眼鏡装着、準備はOK。
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被災地情報としては被害が甚大だった沿岸部にテレビの報道が集中しており、海に面していない仙台市内陸部の被害状況と現状はほとんど知られていないと思います。

あの日から1か月経った今日まで、箇条書きではあるけれど情報のひとつとして、また私自身記憶に留めておくため、ブログに書き記しておこうと思います。

思い出しながらなので、その日に記した日記調になってしまいました。
かなりの長文です。 なので、2回に分けます。
地震の日から3月末日までを、まず記しておきます。



3月11日(金)14:46

東北地方太平洋沖地震発生。
当時は勤務中(市内の病院)。
揺れの大きさもさることながら、驚愕したのは「揺れている時間が長い」ということ。
玄関のドアが閉じてしまわないよう、避難経路の確保に走る。
ドアを押さえ、柱に捕まりながら、外の信号が消え、院内の物が倒れていく光景を目にし・・・ただごとではない地震だと感じた。
何かにつかまらないと、立っていることが不可能。

患者さんやスタッフが院外に避難できたのは揺れがおさまってからだった(外に出ることすらままならない揺れ)。
天気急変。 吹雪の中、余震に耐える。 規模が大きいもの頻回。
ラジオは繰り返し「大津波襲来の警報」。

情報収集と今後の対応、簡単な片づけをし、17:30ごろに解散。
完全停電で、主要道路は軒並み大渋滞。
二車線、三車線の交差点通過がとても怖かった。
7.5kmの通勤路だが、帰宅するまでに2時間半かかった(通常は30分程度)。
車のヘッドライト以外、灯りなし。 歩いて帰宅する人、多数。
格好から避難所へ向かう人も多数。
渋滞の中、カーナビのワンセグで状況を知る。
道路は段差があちこちにでき、注意深く車が進む。

アパートへ帰宅。 玄関口までガラスの破片が飛び散っていた。
電灯を自分で用意していなかったため、携帯電話が唯一の光源となる。
安否を心配するメール多数届くも(感謝)、携帯のバッテリー残量節約のため、返事できず。
他県からのメールは届くのに、肝心の実家と連絡がまったく取れない。
ちなみに、実家は岩手県花巻市(宮沢賢治で有名)。
岩手のど真ん中にあるため、津波の心配はないはずだが・・・・。

暗闇の中、部屋の状況を確認することもできず、夕食に買い置きのポテチを半分食べ、布団をかき集め就寝することに。
ラジオもないので、情報を得られず。
カーテンを開け放つ。 暗闇では外の車のライトが、心のよりどころ。


3月12日(土)

依然として停電状態。 水はわずかながら出る。
ガスはLPガス(プロパン)なので、使用できる。

部屋もそのままに出勤。 朝食は・・・食べることを忘れていた。
昨日同様、道路渋滞。
驚いたのは、段差ができていた部分。 一晩で、アスファルトによる補修が施されていたことだ。

本格的に院内の片づけを開始。
状況が落ち着いたら、必ず病院は混むはずだ。

天井まで高さのあるスチール製カルテ棚が二つ倒れ、薬品庫まで行けず。
直前、カルテ棚の下で作業をしていたが、逃げ遅れれば間違いなく命はなかった。
そのとき座っていたスチール製の椅子は、半分に折れていた。
その他、院内の物ほとんどが倒れ、床に散らばり、廊下と待合室以外、足の踏み場がない。

一人暮らしを案じて下さり、スタッフが水のペットボトルを譲ってくれた。
病院は水が出る。 が、赤い水で飲用には不安。
「私の車でできるから」と、先生が携帯の充電をしてくれた。
隣の酒屋では行列。 帰りに立ち寄り、可能な限り食べられるもの、飲めるものを確保。
確保できたのは、板チョコ1枚、ペットボトル500ml(スポーツドリンク)3本、飴。

帰宅後、部屋の片づけを開始。
水道はもう出ない。
昨日の残りのポテチを夕食にして、この日も就寝は早く、19時。

夜、何度か目を覚ます。
深夜2:00ごろには、真っ赤に染まる空を見た。 緊急車両がひっきりなしに走っている。

水分をほとんど取れなかったため、この日お手洗いに行ったのは1回のみ。
脱水症状が出る前に、水を何とかしないといけない。


3月13日(日)

ようやくアパートの部屋の片付け開始と同時に、被害状況の把握。

【現時点での被害状況】
 ・クローゼットの中から物が飛び出し、扉が外れる。
 ・電子レンジが落下、プラグが引っ張られる形になり、コンセント破損。
 ・ガラス製の食器類はすべて破損。
 ・一人では動かせない家具や冷蔵庫も、30cm以上は動いていた。
 ・トイレタンクの水が溢れ、水浸し。
 ・脱衣所の部分、壁が裂けている。
 ・壁の石膏(?)が崩れ、細かい石と土ぼこりだらけ。

この時点で残っている食料と水は、ペットボトル(ジュース・水)500mlが4本、加熱せずに食べられるものは食パン3枚、あとピーナツクリーム。
冷蔵庫の中のものは水の供給が断たれているため、調理できないものが多い。

当然のことながら店のほとんどが営業していない。
今後の食料と水の入手に、強い不安と焦燥。
「ひとり」 は自分が動かないと、何も事態は進展しない。

9:00ごろ、隣のスーパーに行列ができていることを知り、急いで並ぶことに。
3時間待って、いくらかの食料と水分を入手。
少しずつ食べれば、1週間ぐらいは何とかなる(水以外)。
個数制限があって、ペットボトル(中サイズ)は一人2本まで。
それ以外の水分は、昨日のうちに売れてしまったらしい。
通常、食事としてとるような食料はすでになく、購入できるのはお菓子系のみ。
スーパーも天井が落ちたりと、被害が大きい様子。

電力関係の車両が走っているが、今は復旧ではなく現状把握のためらしい。
復旧はいつになるのか・・・途方に暮れる。
外は焦げ臭い。 どこかで火災が起きているのだろうか・・・。

午後になり、ようやく実家と連絡が取れる。
家族全員無事。 停電中だが農家で田舎ということもあり、食料と水は大丈夫とのこと。
ガスはLPガス(プロパン)なので、そのまま使えるらしい。
メールもまだほとんど通じず、電波がかすかに繋がるときにまとまってメールが届く。
繋がるのは1日に1回程度。

福島にいるいとことも連絡が取れる。
伯母もいとこの家へ避難しているらしい。
向こうもライフラインが全滅している中、「絶対負けない!」と力強いメール。

水の供給が断たれた危機的状況を実家へ伝える。
それを外にいた隣室の方が聞いていたようで、「トイレ用の水、うちのを分けますか?」と声をかけていただく。
断水する前に、浴槽へ汲んでおくことができたらしい。
昨日、私も汲んでから出勤すればよかった・・・・。
お隣は二人いらっしゃることを思い出し、ありがたい申し出を辞退。

この日も就寝は19時。 停電が続き、外はまだ明かりがない。
眠ってから1時間ほどして、ドアをノックする音。
両親と弟が、水を持ってはるばる仙台までやってきた!
目の前に家族がいることが信じられない・・・!
ガソリンスタンドも営業していないので、この時点で残っている燃料は超貴重品。
それは岩手も変わりないはずなのに・・・。

農作業用の大きなバケツにゴミ袋を入れ、そこに水を汲んだものを3つ、漬物用の樽に1つ分、水を届けてくれた。
あとラジオと電池、仏壇のロウソク立てとロウソク、リンゴとオレンジを数個。

母が大きな鍋におかゆを作ってきてくれたので、梅干をおかずに4人で食べる。
あったかい料理は身にしみて・・・おいしかった。
2時間ほどの滞在のあと、帰宅。
「なんとかがんばれ!」 という激励に、現状に呆けているままではいけないと痛感。
本当の本当は・・・・・・、一緒に帰りたかった。


3月14日(月)

いろんな方から聞いた話だと、仙台市内の無事なライフラインは地域によってまったく違うようだ。
電気だけが使用できる地域、水道だけ使用できる地域、全部を断たれた地域。
それぞれお互いが不足しているものを供給し、共有し、分けあっている。
水道が出るケーキ屋さんは 「水出ます、どうぞ」 と看板を出している。

通常通り、出勤。
この日あたりから、ガソリン不足で出勤できないスタッフがいる。
燃料を確保できるまでは、出勤可能なスタッフで診療をすることに。

院内も何とか診療できるまでに片付き、診療を再開。
ただ電気がないので、何もかもが手動。
パソコンが使用不可につき、カルテを探すのも診察券を持参した人に限られる(カルテ番号が判明している人のみ)。
当然、分包機(粉薬を包装する機械)も使えず、対応できる範囲での診療となる。
久々に診療報酬を手で計算した・・・・・・。

薬を確保しようとする患者さんで、混雑。
中には苛立ち、声を荒げる人も。

10:20ごろ、停電解除。 電気が来た!
検査機器を除き、大体の物が使用可能。
外側は破損していても、使えるとは。 機械って意外と丈夫です(感動)。

通常通り、18:00まで勤務し帰宅。
アパート近辺が明るくなっていることから、もしかしたら電気が来たかも!と期待。
良かった・・・・電気が戻った!

さっそく携帯の充電をしつつ、友人へ電話やメール。
電気が来たのでこたつが使用でき、ずいぶん暖かくすごせるように。
ヒーターは燃料がわずかなので、ここぞというとき用にほとんど使っていない。
停電していた日数は短かったのに、部屋の明かりに目がくらむ。

そういえば冷蔵庫の中のものを確認したら、全然腐ってなかった。
2日ほどの停電でも、ヨーグルトや牛乳も平気。
電子レンジが使えるようになったので、お弁当用の冷凍食品を食べて凌ぐ。
冷凍食品だけはちょっと・・・品質が落ちていたかもしれない。

頭がかゆいかゆいかゆい。
耐え切れずにやかんでお湯を沸かして、片手鍋を手桶がわりに洗髪。
・・・泡が立たない。


3月15日(火)

出勤できないスタッフがいる中で、大勢の患者を診療するのは大変困難。
電気、暖房など、使用は最低限に。
トイレットペーパーも確保が難しい。

職場での今一番の話題は、「物資の確保」 について。
どこでなにを手に入れられるか、すぐに情報交換になる。
テレビは常に放映している番組の外側が生活情報テロップとなっていて、そこで情報が得られるが、必ずしも正しい情報ではない。

職場の先輩に水を入れるための大きな容器を借りる(焼酎の大きなペットボトル)。
病院は水は出るものの、時々サビを含んだ赤水になる。
これで、アパートのトイレの水が流せる。

ガソリンを買えないため徒歩の人が多く、暗くなると患者さんが来ない。
そういえば、中には1時間歩いて病院まで薬を取りに来た家族もいた。
17時で診療を切り上げ。


3月16日(水)

帰宅後、このところ毎日習慣になっていたように、水道の蛇口をひねってみる。
と・・・・・今日は出た! ちょろちょろではあるけど、水が出た!!
水量が充分でないため、シャワーはまだ無理か。

夜、水音がしたので起きてみると、浴室入口の枠から滴る水を発見。
すぐ天井で水が流れる音がする・・・。


3月17日(木)

寒い日が続く。 気温は一桁もざら。

上の階の人が帰宅したので聞いてみると、どうやら水使用時に、下へ漏れている様子。
試しに2階から水を流してもらって一緒に確認したところ、浴室の排水らしい。
とりあえず、トイレの排水でなかったことに安堵。
水滴どころではなく、水が天井から流れてくるほどの被害。

わずかにでも水が出るのなら試しにと、数日ぶりにシャワーを浴びることに。
すっかり準備万端でコックをひねるも、お湯出ず。
ガスが一切使えなくなった。
LPガスなので安心していたが、ボンベに残量がないのだろうか・・・。
シャワー、断念。


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スタッフの中には自宅の片づけを終えずに出勤している人もいる。
スーパーに3時間並んで、リンゴ1つという危機的状況の中、通常勤務が難しくなる。
店の大半は午前中で閉店してしまうため、 「勤務する=食料を確保できない」 ということだ。
私は一人だから自分が我慢すれば何とかなるけど、家族を養っていかなければならない人は、だいぶ危機感を募らせていたに違いない。

この週は不定期診療だった。

いつだったかニュースでは、窃盗被害が市内でも40件発生しているらしい。
閉鎖している店が狙われているようだ。
震災後は、これまでに見たことのないほどの台数の消防車が走っていくのを何度も目にする。
信号が使えなかった期間は、事故も多発しているようだ。

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3月18日(金)

朝、雪が積もっていた。
雪かきのためだけに出勤した同僚から、レタスとひじきの煮付けの差し入れをいただいた。
一人暮らしを気づかって、わざわざ持って来てくれたらしい・・・・。

午前で診療が終わったので、今後を踏まえ、食料確保のため一度実家へ帰省することに。
母の話では、こちらと比べて向こう(岩手)のほうが営業している店が多いらしい。

この日あたりから、道路を走る車はほとんどなくなった。
本当にここは仙台市内かと疑うほど(いつもは渋滞がひどい)。
高速道路は緊急車両以外通行不可となっているため、一般道(国道)を帰ることに。
行きながらワンセグで、改めて震災後の状況を把握。

ライフラインを断たれた中、被災者が真に自分たちの状況や、震災の規模、被害の深刻さを情報として得られるのは、震災からだいぶ経ってからなのです。

岩手に近づくほど、営業している飲食店やコンビニがある。
それでも通常通りとは程遠い。
途中、亀裂が入ったり、段差ができている箇所が多数あり。
ほとんど車両が走っていないので、3時間程度で実家へ着いた。
途中、音楽をかけて走ったけれど・・・そういえば震災後、音楽を聴いたのも今日が初めてだった。

帰宅後、待望のお風呂!!!
震災後、一週間ぶりの入浴!!!
水で洗髪はしていたものの、体は水で拭くだけだったため、かゆくて・・・・背中に湿疹ができ始めていた(汗)。
洗髪も、体もそうだけど・・・・一度洗っただけでは泡立たないという、貴重な経験をした。


3月19日(土)

午後から、母と弟に付き添ってもらって物資の調達へ。
岩手県内陸は、驚くほど被害が少ない。
建物も、道も、ほとんど影響ないと言っていいほど。

そして、ここでは並ばずにスーパーに入ることができる。
個数制限があるものの、手に入るものも仙台よりずっと多い。
仙台では今でも店頭販売で、店の中に入ることはできない。
ガスを使わずに食べられるものを中心に、食料を買い込む。

店の状況を見てきたあと、仙台の同僚たちへ代理購入のメール送信。
ぞくぞくと依頼が届く。
おむつ、粉ミルク、生理用品、牛乳、卵、ホットケーキミックス、チョコレート、チーズ、ウインナー・・・・。
向こうでは、おむつや粉ミルクはすでに入手困難。
食べたくても食べられないものが多く、可能ならばという切実な願いが伝わってくる。


3月20日(日)

午前中、母と買物へ。
数店回って、依頼されたものを確保。

遠方からの友人のメールで、岩手の沿岸部に住む知人たちが無事と知る。
本来ならこの連休に10年ぶりとなる再会を果たしているはずだった。


3月21日(月・祝)

昼食後、仙台へ帰ることに。
実家から、ガスボンベ(カセットコンロじゃないよ)、たくさんの食料、電気ポット、灯油の差し入れ。
それとガソリンを15リットルほど。
仙台ほどではないとは言え、花巻市でも燃料の入手はまだ困難で・・・その貴重な燃料を父は私のためにくれた。
母と弟は数日前、店に並んで食料を買って来てくれたようで、物の乏しい中での品揃えに涙が出そうになった。
・・・家族って、本当にありがたい。

この燃料危機の中、通勤と実家の帰省が可能だったのは、12月に車を代えたおかげ。
新車をハイブリッド車にしていたため、ずいぶんと助かった。
帰省時の燃費は、28km/リットル。
新車購入は不思議なタイミングだったように思う。 震災前日、ガソリンを給油していたことも。

途中、待ち合わせをして幼なじみと再会。
彼女もガソリンが確保できず、10kmの道のりを自転車で通勤したり、職場に泊り込むこともあるらしい。
アパートにお邪魔して話をしたけれど、やっぱり話題は地震のことが中心。

食料(乾物)と、電子レンジで調理できる器具を二つ、使用しなくなったからとホットプレート、自動車でできる充電器をもらった。
調理器具は店を回って探してきてくれたらしい。
あと、某有名メーカーの棒つきアメを大量に(笑)。

「(帰り)道は長いんだから、トイレ行っときな!」
本当に何もかもがありがたかった。 ありがとう・・・!


3月22日(月)

ガス管理会社へ電話するも、通じず。
沿岸にある会社なので、もしかしたら・・・・。


3月24日(木)

仙台市内の一部では、ようやく都市ガスが復旧しつつある。
スーパーも少しずつ物が届いているようだが、わずかな生鮮食品や牛乳は午前中で売り切れ。

数日前、コンタクトレンズ店からメルマガが届いていた。
通常営業の再開未定、レンズも在庫限りの販売、取り寄せをしてもいつになるのか不明とのこと。
私のは度が強く、毎回取り寄せになるので、残り1枚しかなかったレンズの確保をしに、仙台駅前まで行くことに。

いつもなら地下鉄一本で行ける仙台駅前も、最寄の地下鉄駅の駅舎が一部崩落、高架橋も破損しているとこのことで、復旧し運転を再開している駅まで無料シャトルバスで移動。
バスの車内、高齢者に席を譲る人を多数見かけた。
(私は渋い顔で断られた・・・判断が難しい・・・)
今放送しているCMの影響もあるのかな・・・・・。

駅前は仙台の中心部と思えないほど、人も車も閑散としていた。
緊急車両は多い。 行き交う人はみな、被災者の格好。 オシャレしている人はいない。

仙台駅も駅舎が一部崩落し、大きな覆いと長い足場が組まれていた。
駅への立ち入りは禁止。 ペレストリアンデッキもほとんど通行不可。
ロフト、丸善など一部営業している店舗はあるものの、15時で閉店のところ多数。

気になったので、アニメイトにも立ち寄ってみたら・・・・営業していた!
ただ、商品は震災後入荷がないので新しいものがない状態。
そういえば、丸善も同じだった。
地震の前日、アニメイトに萌えの仕入れに行っていたのを思い出す。
帰りのシャトルバスが混んでいて、ひどく疲れた。

夜は幼なじみからもらったホットプレートで「鍋」。
地震前に購入していた白菜、まだ大丈夫だった!
久々にあたたかい夕食。


3月26日(土)

弟にメールした(以下、原文ママ)。

『 からだ かゆい
  ふ   ろ
  かゆ       』

こんなときだけど、ゲーマー姉弟ならではのネタ。


3月27日(日)

今週は地震前に通販で注文していた物が、ぽつぽつ届いた。
沿岸部最優先だった物流が、少しずつ内陸部でも稼動してきた様子。
届いたものは洋服だったり、ゲームだったりで、平穏なときならではの品物だと思った。

仙台市営地下鉄の全線開通は5月とのこと。
シャトルバスがかなり混むらしく、利用する人は出勤時、いつ乗れるか分からないぐらい行列ができているらしい。
新学期を迎え学生の通学が始まれば、一般道もシャトルバスもどうなるのか・・・危惧している人は多い。


午後、アパートの管理会社が点検と現状調査に来た。
被害箇所を写真に撮っていた。

クローゼットの扉を直し、飛び出たままのコンセントを使えないようにガムテを貼っていった。
水漏れの件も話したけど、修理の話は今のところない。

電子レンジが落下した際、中の引き戸に当たってアクリル板に穴が開いた箇所は、自己負担になるらしい。
居住者の私物で破損したからだとか。
理屈は分かるけど、修理費が1万円・・・・・・。 退去時に敷金から支払うことに。


3月28日(月)

飲食店、一部営業再開。
吉野家には 「元気で 営業中」 という紙が貼られていた。
店の多く、至るところに 「がんばろう 東北」 というメッセージを書いた紙が貼られている。


3月29日(火)

わずかな量ながらガソリンが入荷しているようで、販売を狙って道には長蛇の列ができている。
前日夜から並ぶ人もいるようで、朝の出勤時は必ず大渋滞が起きる。
バスや緊急車両が通れず、完全に立ち往生してしまう事態も。

中には殺気立っている人がいて、暴行や暴言を受けることもあるらしい。
ガソリンを運ぶタンクローリー車は二人一組で、ガソリンスタンドスタッフも増員し、対応に当たっている。

実家から戻って以来、お風呂に入れていない。
電気ポットが旧型で小さく、一度に沸かせる量が少ない。
そこで、やりくりする方法を編み出した。
髪と四肢は水シャワーで洗い、体幹部分だけ沸かしたお湯で洗うというもの。
かなり寒いが、寒さにも人は慣れる! だいぶ不便に慣れてきた。


3月30日(水)

21:20ごろ、ガスボンベを収納しているシャッターが開く音が聞こえた。
ガス業者来訪! やっとガスが復旧する。
ガス残量不足ではなく、ボンベのズレ(?)だったそうだ。
部屋のあちこちから 「ありがとうございます」、「助かりました!」 の声が聞こえてきた。

だいぶ後で聞いた話だが、やはりガス管理会社は津波で流されたらしい。
この日来てくれた業者は、業務を引き継いだところだった。
安否は分からないので、心配。


3月31日(木)

これまでと変わらず、仕事は残業期間に入った。
あいかわらず、病院はとても混む。
17:00過ぎたあたりから全く来なくなるのも同じ。




4月分は後ほどUPします。

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アールグレイとアッサム、台湾茶、ほうじ茶。


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