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雨が降ってます。
予報だとちょうど明日の出勤時間あたりが、ピークになりそうとかなんとか。
学校も休校ですってよー。社会人はどうして休めないんだ・・・(震災のときも翌日は通常出勤だったなぁ)。
それはさておき。
雨が降ったのでちょっと見たい作品があり、DVDを引っ張り出してみました。
『遙かなる時空の中で 舞一夜』 です。
雨、とくに梅雨時期になるとこの作品を思い出します。
昨年6月に川上とも子さんが亡くなられたときにこの作品で追悼できなかったので、その意味も込めて。
この作品、2006年公開の劇場版なんですよね。
まず単純に今日までの年月に驚きました。もう6年・・・・・!
リアルタイムでは当時2回ほど見てます。
1回目はネオロマンスフェスタで。
私のネオロマフェスタデビューがこの舞一夜のプレミアム先行上映会だったんです。
ビギナーズラックで、なんとSS席でした。
それ以降も何度か参加したけれど、後にも先にもこの1回だけでしたね、こんな良席が当たったのは(笑)。
2回目は池袋の映画館です。
6年も前の作品だけど、作画が丁寧だなと思いました。さすが映画版! 安心のクオリティー(笑)。
夜のシーンが多く、ろうそく一本の灯しかない屋敷の中の明暗の表現なんか、今見てもすごい。
月明かりしかない夜も、ひっそりとした闇の気配が美しい。
八葉はあの通り非常にカラフルな髪と衣装なんだけれど夜のシーンが主なので、それほど画的には派手さを感じないんですよね。
昼のシーンはあっても、逆光になっていることが多いです。
これはラストを描くための演出のひとつだったことに、今さら気づきましたよ!
ラスト、あかねの初封印から時が経ち、季節は 「夏」 になってます。
あかねや八葉が勢揃いするシーン。 ここが物語一、明るい色で描かれています。
音響効果でセミが鳴いているから夏だと分かるけれども、あえてくっきりとした鮮やかな色でキャラを描くことで、見る側が夏だと感じ取れるよう、「夏の太陽の光」 を描いているんですよね。
この明るさは、あれから時を経てお互いに理解と絆を深めた神子と八葉をも描いていたんだろうなぁと思うと、なんとも深いですよね。
多季史(おおのすえふみ)が封印しなくてはならない怨霊と知って激しく動揺するあかねと、最後の最後、大空に季史の顔が浮かぶ脚本と演出はいまだに (ノ∀`) 「・・・」 となってしまうけれども(笑)。
あれだけキャラの多い作品にさらに新規キャラを加え、平等に見せ場を設けた上で、ファンが納得のいくよう無理のない物語としてよく完結させたなぁと感心します。
非常によくまとまってるんですよ! これがびっくり! いまびっくり!
当時は感情視点でしか見てなかったんでしょうね(苦笑)。
おざなりな扱いをされたキャラがいるわけでもなく、八葉全体ではなくて一人にスポットを当てて感情をなぞっていけば、八葉それぞれが神子や怨霊に対する捉え方や感情が違っていて、終盤どう変化していくかがよく分かります。
そこに八葉の個性も加えて描いているのだから、脚本家さん・・・すごいな。
こうして見てみると、当時見えなかったものが見えてきますね。
あかねと季史って、実は2度しか会っていないんですよ(3度目の邂逅は封印時だった)。
2度、しかも交わした言葉はそれほど多くなかったのに恋に落ちたとか。ありえないようでいて、これはネオロマンスなんです。ありなんです(笑)。
あかねが 「神子として」 しか自分は必要とされていない。でも自分に何ができるか分からない、崇め奉られているだけで何もできないと孤独を感じていたとき、同じように季史も孤独を抱えたままさまよっていた。
ふたりが共感したとき、淡い恋へと・・・・・・って、実は恋という形でなくても良かった気がします。 というか、予告CMでははっきり 「恋」 と言ってるけど、「人間愛」 のそれに近い物語だったんじゃないかなと、私は思うんです。
でも、ネオロマンスですからね。 そこはそこ(笑)。
櫻井さん、うまいですよねー・・・!
苦悶の呻き声や叫びが、本当にすごい。
季史のセリフ量はそんなに多くないにもかかわらず、舞っている最中、呪詛によって亡くなる際の苦悶の声。 自分が非業の死を遂げた故人であることを思い出した際の叫び。
この二つで多季史というキャラが持つ苦しみを演じきったと言っても、おそらく過言じゃないんじゃないかな。
鳥肌モノです。
私がアニメDVDを見たり、ゲームをプレイしたのももうずいぶんと前の話になってしまい、遙か(無印)のキャラたちに会うのも本当に久しぶりだったけど、なんら違和感もないばかりか、「おお!久しぶり!懐かしい!」 という気持ちにならなかったのが不思議でたまりません(笑)。
なんというか、驚くほど身近というか・・・本当に自然だったんですよ。 まるで今もプレイ中、現在進行形でキャラにかかわっているかのような感覚で!
実は今、「遙か3」 をプレイ中なんですが(PSP版を新たに購入)、遙か3のキャラとは声優さんは同じでもキャラのビジュアルも性格もまったく違いますしね。
ゲーム作品でいうなら遙か3が一番好きなので 、舞一夜を見るまでは 「やっぱり私の一番は 3 だよね!」 と思うだろうと予想してたんですけどね・・・・・見事にそうはならなかったですね(笑)。 この感覚が不思議(笑)。 そしてやっぱり無印のキャラたちも大好きです。
主題歌の 「はらり、ひらり」(sona)は、今でも聴きます。
今朝も聴きながら出勤しました(笑)。 歌詞が優しくて前向きで切なくて大好きです。
舞一夜を見終わったあとで、CDを買いに速攻でアニメイトへ行ったのが懐かしいです。
こうして時間を経て(経ちすぎたけども・苦笑)見直してみると、新しい発見が多く、それと同時に当時と変らない感覚や感情があったりしておもしろいですね。
なかなかに有意義な雨の時間を過ごしました。
あっ、でも台風はそれどころじゃないですね(汗)。 大事無く通り過ぎますように・・・!
《 追記 》
プレイの上でも、映画鑑賞の上でも、神子を客観視しちゃダメだってことに、これも今さらながら気づきました。。
神子=自分として感情移入しておかないと、神子はただの 「恋多き少女」 に映ってしまう(笑)。
自分のお気に入りのキャラがいるなら、なおさらその都度気持ちをリセットして対象キャラと神子(自分)に浸らないとダメなんですよね。
じゃないと 「こんな気の多い子(神子)が、○○と!ヽ(`Д´)ノ」 みたいなことに(笑)。
予報だとちょうど明日の出勤時間あたりが、ピークになりそうとかなんとか。
学校も休校ですってよー。社会人はどうして休めないんだ・・・(震災のときも翌日は通常出勤だったなぁ)。
それはさておき。
雨が降ったのでちょっと見たい作品があり、DVDを引っ張り出してみました。
『遙かなる時空の中で 舞一夜』 です。
雨、とくに梅雨時期になるとこの作品を思い出します。
昨年6月に川上とも子さんが亡くなられたときにこの作品で追悼できなかったので、その意味も込めて。
この作品、2006年公開の劇場版なんですよね。
まず単純に今日までの年月に驚きました。もう6年・・・・・!
リアルタイムでは当時2回ほど見てます。
1回目はネオロマンスフェスタで。
私のネオロマフェスタデビューがこの舞一夜のプレミアム先行上映会だったんです。
ビギナーズラックで、なんとSS席でした。
それ以降も何度か参加したけれど、後にも先にもこの1回だけでしたね、こんな良席が当たったのは(笑)。
2回目は池袋の映画館です。
6年も前の作品だけど、作画が丁寧だなと思いました。さすが映画版! 安心のクオリティー(笑)。
夜のシーンが多く、ろうそく一本の灯しかない屋敷の中の明暗の表現なんか、今見てもすごい。
月明かりしかない夜も、ひっそりとした闇の気配が美しい。
八葉はあの通り非常にカラフルな髪と衣装なんだけれど夜のシーンが主なので、それほど画的には派手さを感じないんですよね。
昼のシーンはあっても、逆光になっていることが多いです。
これはラストを描くための演出のひとつだったことに、今さら気づきましたよ!
ラスト、あかねの初封印から時が経ち、季節は 「夏」 になってます。
あかねや八葉が勢揃いするシーン。 ここが物語一、明るい色で描かれています。
音響効果でセミが鳴いているから夏だと分かるけれども、あえてくっきりとした鮮やかな色でキャラを描くことで、見る側が夏だと感じ取れるよう、「夏の太陽の光」 を描いているんですよね。
この明るさは、あれから時を経てお互いに理解と絆を深めた神子と八葉をも描いていたんだろうなぁと思うと、なんとも深いですよね。
多季史(おおのすえふみ)が封印しなくてはならない怨霊と知って激しく動揺するあかねと、最後の最後、大空に季史の顔が浮かぶ脚本と演出はいまだに (ノ∀`) 「・・・」 となってしまうけれども(笑)。
あれだけキャラの多い作品にさらに新規キャラを加え、平等に見せ場を設けた上で、ファンが納得のいくよう無理のない物語としてよく完結させたなぁと感心します。
非常によくまとまってるんですよ! これがびっくり! いまびっくり!
当時は感情視点でしか見てなかったんでしょうね(苦笑)。
おざなりな扱いをされたキャラがいるわけでもなく、八葉全体ではなくて一人にスポットを当てて感情をなぞっていけば、八葉それぞれが神子や怨霊に対する捉え方や感情が違っていて、終盤どう変化していくかがよく分かります。
そこに八葉の個性も加えて描いているのだから、脚本家さん・・・すごいな。
こうして見てみると、当時見えなかったものが見えてきますね。
あかねと季史って、実は2度しか会っていないんですよ(3度目の邂逅は封印時だった)。
2度、しかも交わした言葉はそれほど多くなかったのに恋に落ちたとか。ありえないようでいて、これはネオロマンスなんです。ありなんです(笑)。
あかねが 「神子として」 しか自分は必要とされていない。でも自分に何ができるか分からない、崇め奉られているだけで何もできないと孤独を感じていたとき、同じように季史も孤独を抱えたままさまよっていた。
ふたりが共感したとき、淡い恋へと・・・・・・って、実は恋という形でなくても良かった気がします。 というか、予告CMでははっきり 「恋」 と言ってるけど、「人間愛」 のそれに近い物語だったんじゃないかなと、私は思うんです。
でも、ネオロマンスですからね。 そこはそこ(笑)。
櫻井さん、うまいですよねー・・・!
苦悶の呻き声や叫びが、本当にすごい。
季史のセリフ量はそんなに多くないにもかかわらず、舞っている最中、呪詛によって亡くなる際の苦悶の声。 自分が非業の死を遂げた故人であることを思い出した際の叫び。
この二つで多季史というキャラが持つ苦しみを演じきったと言っても、おそらく過言じゃないんじゃないかな。
鳥肌モノです。
私がアニメDVDを見たり、ゲームをプレイしたのももうずいぶんと前の話になってしまい、遙か(無印)のキャラたちに会うのも本当に久しぶりだったけど、なんら違和感もないばかりか、「おお!久しぶり!懐かしい!」 という気持ちにならなかったのが不思議でたまりません(笑)。
なんというか、驚くほど身近というか・・・本当に自然だったんですよ。 まるで今もプレイ中、現在進行形でキャラにかかわっているかのような感覚で!
実は今、「遙か3」 をプレイ中なんですが(PSP版を新たに購入)、遙か3のキャラとは声優さんは同じでもキャラのビジュアルも性格もまったく違いますしね。
ゲーム作品でいうなら遙か3が一番好きなので 、舞一夜を見るまでは 「やっぱり私の一番は 3 だよね!」 と思うだろうと予想してたんですけどね・・・・・見事にそうはならなかったですね(笑)。 この感覚が不思議(笑)。 そしてやっぱり無印のキャラたちも大好きです。
主題歌の 「はらり、ひらり」(sona)は、今でも聴きます。
今朝も聴きながら出勤しました(笑)。 歌詞が優しくて前向きで切なくて大好きです。
舞一夜を見終わったあとで、CDを買いに速攻でアニメイトへ行ったのが懐かしいです。
こうして時間を経て(経ちすぎたけども・苦笑)見直してみると、新しい発見が多く、それと同時に当時と変らない感覚や感情があったりしておもしろいですね。
なかなかに有意義な雨の時間を過ごしました。
あっ、でも台風はそれどころじゃないですね(汗)。 大事無く通り過ぎますように・・・!
《 追記 》
プレイの上でも、映画鑑賞の上でも、神子を客観視しちゃダメだってことに、これも今さらながら気づきました。。
神子=自分として感情移入しておかないと、神子はただの 「恋多き少女」 に映ってしまう(笑)。
自分のお気に入りのキャラがいるなら、なおさらその都度気持ちをリセットして対象キャラと神子(自分)に浸らないとダメなんですよね。
じゃないと 「こんな気の多い子(神子)が、○○と!ヽ(`Д´)ノ」 みたいなことに(笑)。
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