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先日のおしながきに書いたとおり、「イヴの時間」 にドハマりしました。
コミックスから入った派で、ニコ動配信アニメが元だったとはつゆ知らず。
レンタルしてみたら面白くて、いろいろと買い揃えてしまいました。
以下、簡単ですがレポしときます。
「イヴの時間」
〈あらすじ〉
『ロボットが実用されて久しく、アンドロイドが実用化されてまだ間もない時代。』
家事を担うアンドロイド=ハウスロイド、サミィの行動ログをチェックしていた高校生のリクオは、その中に不審な文字列を見つける。
「Are you enjoying the time EVE?」
親友のマサキと共にたどり着いた先、それは「イヴの時間」という喫茶店。その店とはいったい―。
ぶっちゃけ、泣きました! DVDを見終わったら、めちゃくちゃ目から水が!
ヒトとアンドロイドがどう付き合っていくか、というのがこの物語の大きなテーマになっているんですが、描かれるエピソードのひとつひとつが、とても、とても優しいんです。
アンドロイドを家電として扱うのが一般的であり、常識になっている世界で、機械をヒトとして扱う人たちは「ドリ系」と呼ばれ、嫌悪の対象とされる。
極端な話、命令を実行したアンドロイドに「ありがとう」と伝えただけで、ドリ系扱いされてしまう。
マスターの命令を忠実かつ完璧に遂行するのが任務するのは、ロボットの役目。
機械が人間の命令にしたがった、それだけのこと。
・・・それだけのこと、なんだけれども。
「情がわく」 という経験、ないですか? あるいは、それに近い気持ちになったことは?
たいして気に入っていなかったのに使っているうちに大切なものになった、とか。
ぬいぐるみを殴ったり、叩いたり、投げたりすることなんてできない、とか。
でも、しょせん無機質なモノには感情なんてないですよね。
だからモノとして扱って当然。
「イヴの時間」 の世界では、アンドロイドへ気持ちを寄せることを善しとしません。
ではなぜ、ヒトが利便性を追求して作った単なる家電が、ヒトの姿に似せてあるのか?
機械的なデザインであるよりも、自然で円滑な印象を与えるため?
人と同じような接し方をしては良くないのに?
・・・ここなんです。 この最大の矛盾こそが面白い。
作品の中にははっきり外見でロボットと区別できるものも登場するけども、私がもっとも興味をそそられたのはそういった部分でした。
外見がヒトであってもそうでなくても、命があってもなくても、人って物を大事に扱おうという気持が自然にわいてくるんじゃないかと思うんですね。
日本には九十九神という信仰もあったぐらいだし。
大事にする、それだけでドリ系と呼び、蔑むような風潮は、実は人間が機械に感じる恐怖があるからじゃないかとも思うんです。
自分を心から心配してくれる存在がいたら、誰でも嬉しい。
優しいものに、心を許してしまうじゃないですか。
反面、人間は無機質なモノに自分の感情を晒すのが、とてもこわい。
そして無機質なモノに自分を理解されるのが、こわい。
心や感性を持つヒトの存在を超える存在になりえる機械が、こわい。
そんなふうに思ったんです。
主にリクオに関してだけど。
何だかかたい話になっちゃいましたが(汗)。
機械が人と同様に心を持っていたとして。
人間の心を理解したいと思う根底には、悪意なんてない。
ただただマスターの喜ぶ顔が見たい、幸せになって欲しいという純粋な願いから起きている、実にロボットらしい感情とも言えるんじゃないかなぁ、と。
あまりのいじらしさと優しさと葛藤に、何度目から水が出たことか・・・!
最後の最後で、とあるキャラの意外な一面を知ることになり・・・・目からの洪水はMAXになるわけですが(笑)。
ロボットと人間が幸せに共存できる世界が、必ずあるはずだと信じたくなる、希望に満ちたエンディングでした。
「イヴの時間」 は、劇場版とそうでないのがあるので初見の方は注意ですよ~。
劇場版はネットで公開されたものが、劇場用に再編集された内容になってます。
ネット公開そのままver. はリクオの日常が描かれていて、世界観を理解するにはうってつけ。
個人的には、劇場版から見ることをオススメします。
最後のエピソードからエンディング曲への繋ぎが、とてつもなく素晴しい!
Kalafina が歌う 「I have a dream」 が作品と見事に調和していて、しばらくなかった感動を味わいました。
EDではとあるキャラの過去らしきエピソードが描かれていて、続編への期待が高まります!
てか、続編・・・あるんだよね!? ね!?
まだアニメに追いついていないコミックス版では、原作ではちょっとしか描かれていないキャラが掘り下げられていたりして、今後がますます楽しみです!
この作品、ホントにオススメしたい・・・・。
コミックスから入った派で、ニコ動配信アニメが元だったとはつゆ知らず。
レンタルしてみたら面白くて、いろいろと買い揃えてしまいました。
以下、簡単ですがレポしときます。
「イヴの時間」
〈あらすじ〉
『ロボットが実用されて久しく、アンドロイドが実用化されてまだ間もない時代。』
家事を担うアンドロイド=ハウスロイド、サミィの行動ログをチェックしていた高校生のリクオは、その中に不審な文字列を見つける。
「Are you enjoying the time EVE?」
親友のマサキと共にたどり着いた先、それは「イヴの時間」という喫茶店。その店とはいったい―。
ぶっちゃけ、泣きました! DVDを見終わったら、めちゃくちゃ目から水が!
ヒトとアンドロイドがどう付き合っていくか、というのがこの物語の大きなテーマになっているんですが、描かれるエピソードのひとつひとつが、とても、とても優しいんです。
アンドロイドを家電として扱うのが一般的であり、常識になっている世界で、機械をヒトとして扱う人たちは「ドリ系」と呼ばれ、嫌悪の対象とされる。
極端な話、命令を実行したアンドロイドに「ありがとう」と伝えただけで、ドリ系扱いされてしまう。
マスターの命令を忠実かつ完璧に遂行するのが任務するのは、ロボットの役目。
機械が人間の命令にしたがった、それだけのこと。
・・・それだけのこと、なんだけれども。
「情がわく」 という経験、ないですか? あるいは、それに近い気持ちになったことは?
たいして気に入っていなかったのに使っているうちに大切なものになった、とか。
ぬいぐるみを殴ったり、叩いたり、投げたりすることなんてできない、とか。
でも、しょせん無機質なモノには感情なんてないですよね。
だからモノとして扱って当然。
「イヴの時間」 の世界では、アンドロイドへ気持ちを寄せることを善しとしません。
ではなぜ、ヒトが利便性を追求して作った単なる家電が、ヒトの姿に似せてあるのか?
機械的なデザインであるよりも、自然で円滑な印象を与えるため?
人と同じような接し方をしては良くないのに?
・・・ここなんです。 この最大の矛盾こそが面白い。
作品の中にははっきり外見でロボットと区別できるものも登場するけども、私がもっとも興味をそそられたのはそういった部分でした。
外見がヒトであってもそうでなくても、命があってもなくても、人って物を大事に扱おうという気持が自然にわいてくるんじゃないかと思うんですね。
日本には九十九神という信仰もあったぐらいだし。
大事にする、それだけでドリ系と呼び、蔑むような風潮は、実は人間が機械に感じる恐怖があるからじゃないかとも思うんです。
自分を心から心配してくれる存在がいたら、誰でも嬉しい。
優しいものに、心を許してしまうじゃないですか。
反面、人間は無機質なモノに自分の感情を晒すのが、とてもこわい。
そして無機質なモノに自分を理解されるのが、こわい。
心や感性を持つヒトの存在を超える存在になりえる機械が、こわい。
そんなふうに思ったんです。
主にリクオに関してだけど。
何だかかたい話になっちゃいましたが(汗)。
機械が人と同様に心を持っていたとして。
人間の心を理解したいと思う根底には、悪意なんてない。
ただただマスターの喜ぶ顔が見たい、幸せになって欲しいという純粋な願いから起きている、実にロボットらしい感情とも言えるんじゃないかなぁ、と。
あまりのいじらしさと優しさと葛藤に、何度目から水が出たことか・・・!
最後の最後で、とあるキャラの意外な一面を知ることになり・・・・目からの洪水はMAXになるわけですが(笑)。
ロボットと人間が幸せに共存できる世界が、必ずあるはずだと信じたくなる、希望に満ちたエンディングでした。
「イヴの時間」 は、劇場版とそうでないのがあるので初見の方は注意ですよ~。
劇場版はネットで公開されたものが、劇場用に再編集された内容になってます。
ネット公開そのままver. はリクオの日常が描かれていて、世界観を理解するにはうってつけ。
個人的には、劇場版から見ることをオススメします。
最後のエピソードからエンディング曲への繋ぎが、とてつもなく素晴しい!
Kalafina が歌う 「I have a dream」 が作品と見事に調和していて、しばらくなかった感動を味わいました。
EDではとあるキャラの過去らしきエピソードが描かれていて、続編への期待が高まります!
てか、続編・・・あるんだよね!? ね!?
まだアニメに追いついていないコミックス版では、原作ではちょっとしか描かれていないキャラが掘り下げられていたりして、今後がますます楽しみです!
この作品、ホントにオススメしたい・・・・。
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