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合間を見て 「咎狗の血TBP」 をプレイ中です。
PS2版もフルコンプしているので実質2回目のプレイということになるんですが、意外と忘れているものだなぁ(汗)。
大まかなストーリーと印象だけが、鮮烈に記憶されている、そんな感じです。
コンプ順、すっかり忘れていたけれど、ユキヒト以外をプレイしないと n ルートが開かないんでした。
こういうところも含めて忘れてるな(汗)。
残りはその n ルートのみ。
なのでまだフルコンプとは言えないけど、自分的感想としてまた書き記しておこうと思います。
PS2版をやったときと同じ感想になっていたり、もしかしたら覆っているかも・・・ですが(笑)。
-----------------------
TBP → PC版・・・という順で、18禁とそうでないものを比較しながらプレイしてます。
ただ単にエロいシーンをもう一回復習したいからだけではなくて(←否定しないとか・笑)、そのシーンがある・なしで、どう印象が変わるかを試してみたいからなのでした。
で、結論として言えば 「ないほうがいい、しっくりくるキャラルート」 があるというのは以前と同じ。
ルートの多くは本家PC版と同じ内容で、そういうシーンを削除しただけというか、濁したというか、暗転する(笑)演出で、基本的には同じ内容だったんだ!・・・と、今さら気づきました。
行為そのものはあったものとして、ただシーンを描いていないだけなんだと。
これをふまえると、源泉ルートはかえってそのほうが源泉の 「父親の庇護的愛情」 があたたかく描かれているような気がします。
逆に、リンはあったほうがいい!
『体を通して心を抱く』
私が咎狗の中でもっとも心にガツンときた、今でも忘れられないこの一文がないから、です。
咎狗本家プレイ当時はまだそんなに18禁BLゲームというものを経験していないときで、なぜこんなにも印象深く心にこの一文が刻まれたのかよく理解してなかった気がします。
単純にシチュエーションを楽しむBLゲームも好きです。
でも、今でも最も心に残るBLゲームが 「咎狗の血」 である理由が、この一文なんだと思うんです。
体の繋がりじゃなくて、心の繋がり。
行為を目的としているものじゃなくて、行為に至った必然性。
そしてそれは、必ずしも 「好き」 という理由からだけではない、別の感情もあるんだと。
・・・ここ、なんですよ・・・!
アキラたちの心情に添って思いを巡らせていくと、咎狗って本当にいろんな感情渦巻く、とてつもなく深い作品だなと実感します。
今さらだけど。
話を戻します。
そういった中で、PC版とまったく別のEDに仕上がっているのが、シキルートです。
今回の比較プレイで思ったのが、PC版のEDは言うなれば極端だなということ。
もちろん、いい意味でですよ?
あのEDにたどり着くまでのいきさつがないから、シキとアキラの結末にどれもものっすごい強烈なインパクトと余韻が残るのがPC版だと思うんです。
逆にTBではEDに繋がるまでの過程と、アキラの心情が丁寧に描かれているので、じんわり心に染み入るEDになっているというか。
シキルートで迎えるEDはシリーズ作品全部で6通りあるにもかかわらず、どれも遜色ないもので、ここで改めてシナリオライターさんの力量を心から称えたいです(偉そうでごめんなさい)。
全てのEDがプレイヤーに納得と驚愕を与えるシナリオなんて!
「咎狗の血」という作品に出会えたこと、TBでまた異なる咎狗を見ることができたことに感謝の気持ちでいっぱいになります。
シキ・・・やっぱり一番好きですね。 再実感しました!
常人離れした描写や形容詞がいくつも並ぶキャラだけど、アキラと対峙しているときだけは、血の通った一人の人間である部分がごくごくたまに垣間見れて切なくなります。
きっとアキラもそういった部分にも、人として惹かれたんじゃないかな・・・。
単なるギャップ萌えとか、そんな陳腐なことじゃなくて。
とあるEDで。
「自分が敵わないと知っていて。でもいつかは追いついて、倒す」。
簡単に説明するにはちょっと語弊が生じるけれども、それは n に執着するシキも、シキに執着するアキラも同じで、二人が似ていることに今回気づかされました。
自らシキの刃にかかり、シキに絶対的な敗北感を与えて死んでいった n。
あの行動は、絶望の中で生きる自分を純粋に殺そうと追ってくるシキに対して、彼なりの敬意でもって迎えた最期だったのかなと。
裏返せば n もまた、いつしかシキに執着していたのかもしれません。
呪われた血と運命で綴られた自らの人生を。
生きた証を永遠に刻みこむために選んだ終止符だったのでは。
そう解釈すると、シキに向けた歪な愛情とも呪縛とも取れるような気がするんです。
・・・改めて思い返すと、咎狗には 「n ×シキ」 という別のルートがあったようにも思えます。
そして、n の絶対的強者である感情も、恐怖と敗北感を味わったアキラの感情も、両方を胸の内に抱いていたキャラが 「シキ」 だったんだろうと。
咎狗TB、シキルートED1、2に共通した思いが見え隠れするんですよね。
アキヒトルートは、今でも「惜しい!」と思えてなりません。
個別キャラと迎えるこれまでのEDとはまったく異なる感情の発見とEDをアキラにもらたしただけに、残念でしかたないです。
他人とはつるまなかったアキラが、ケイスケを失い、アキヒトやトウヤとの出会いを通して、仲間という存在を知っていく・・・・この過程をもっとじっくり描いて欲しかった!
最初からアキヒトがほぼ事情を把握しているが故に、アキラに全てを淡々と説明して、さくっと終わっちゃっている感が否めなくて。
アキラに対するジレンマとか、絵を描こうとしたきっかけとか思いとか。
アキヒト自身、記憶があることで苦悩する姿や、徐々に真実を知っていく過程で葛藤する様をもっと掘り下げて描いて欲しかったなぁと思います。
新たなED曲 「追憶の風」 が、この上ないシンクロ率と完成度なんですよね・・・。
惜しい・・・・本当にもったいない!
TB からその部分を加筆修正して、TBP に収録・・・・だったら、ものっすごく嬉しかったのに。
ポーカーに当てた容量を、その分に費やしてもらって、ぜひ見たかった・・・・。
テンションのままに率直に書いたので、相当ぐちゃぐちゃな感想になってしまいました(汗)。
あと少しで TBP のプレイも終わりだけれど。
これからも咎狗は、変わらず 「一番好きなBLゲーム」 だと思っています!
PS2版もフルコンプしているので実質2回目のプレイということになるんですが、意外と忘れているものだなぁ(汗)。
大まかなストーリーと印象だけが、鮮烈に記憶されている、そんな感じです。
コンプ順、すっかり忘れていたけれど、ユキヒト以外をプレイしないと n ルートが開かないんでした。
こういうところも含めて忘れてるな(汗)。
残りはその n ルートのみ。
なのでまだフルコンプとは言えないけど、自分的感想としてまた書き記しておこうと思います。
PS2版をやったときと同じ感想になっていたり、もしかしたら覆っているかも・・・ですが(笑)。
-----------------------
TBP → PC版・・・という順で、18禁とそうでないものを比較しながらプレイしてます。
ただ単にエロいシーンをもう一回復習したいからだけではなくて(←否定しないとか・笑)、そのシーンがある・なしで、どう印象が変わるかを試してみたいからなのでした。
で、結論として言えば 「ないほうがいい、しっくりくるキャラルート」 があるというのは以前と同じ。
ルートの多くは本家PC版と同じ内容で、そういうシーンを削除しただけというか、濁したというか、暗転する(笑)演出で、基本的には同じ内容だったんだ!・・・と、今さら気づきました。
行為そのものはあったものとして、ただシーンを描いていないだけなんだと。
これをふまえると、源泉ルートはかえってそのほうが源泉の 「父親の庇護的愛情」 があたたかく描かれているような気がします。
逆に、リンはあったほうがいい!
『体を通して心を抱く』
私が咎狗の中でもっとも心にガツンときた、今でも忘れられないこの一文がないから、です。
咎狗本家プレイ当時はまだそんなに18禁BLゲームというものを経験していないときで、なぜこんなにも印象深く心にこの一文が刻まれたのかよく理解してなかった気がします。
単純にシチュエーションを楽しむBLゲームも好きです。
でも、今でも最も心に残るBLゲームが 「咎狗の血」 である理由が、この一文なんだと思うんです。
体の繋がりじゃなくて、心の繋がり。
行為を目的としているものじゃなくて、行為に至った必然性。
そしてそれは、必ずしも 「好き」 という理由からだけではない、別の感情もあるんだと。
・・・ここ、なんですよ・・・!
アキラたちの心情に添って思いを巡らせていくと、咎狗って本当にいろんな感情渦巻く、とてつもなく深い作品だなと実感します。
今さらだけど。
話を戻します。
そういった中で、PC版とまったく別のEDに仕上がっているのが、シキルートです。
今回の比較プレイで思ったのが、PC版のEDは言うなれば極端だなということ。
もちろん、いい意味でですよ?
あのEDにたどり着くまでのいきさつがないから、シキとアキラの結末にどれもものっすごい強烈なインパクトと余韻が残るのがPC版だと思うんです。
逆にTBではEDに繋がるまでの過程と、アキラの心情が丁寧に描かれているので、じんわり心に染み入るEDになっているというか。
シキルートで迎えるEDはシリーズ作品全部で6通りあるにもかかわらず、どれも遜色ないもので、ここで改めてシナリオライターさんの力量を心から称えたいです(偉そうでごめんなさい)。
全てのEDがプレイヤーに納得と驚愕を与えるシナリオなんて!
「咎狗の血」という作品に出会えたこと、TBでまた異なる咎狗を見ることができたことに感謝の気持ちでいっぱいになります。
シキ・・・やっぱり一番好きですね。 再実感しました!
常人離れした描写や形容詞がいくつも並ぶキャラだけど、アキラと対峙しているときだけは、血の通った一人の人間である部分がごくごくたまに垣間見れて切なくなります。
きっとアキラもそういった部分にも、人として惹かれたんじゃないかな・・・。
単なるギャップ萌えとか、そんな陳腐なことじゃなくて。
とあるEDで。
「自分が敵わないと知っていて。でもいつかは追いついて、倒す」。
簡単に説明するにはちょっと語弊が生じるけれども、それは n に執着するシキも、シキに執着するアキラも同じで、二人が似ていることに今回気づかされました。
自らシキの刃にかかり、シキに絶対的な敗北感を与えて死んでいった n。
あの行動は、絶望の中で生きる自分を純粋に殺そうと追ってくるシキに対して、彼なりの敬意でもって迎えた最期だったのかなと。
裏返せば n もまた、いつしかシキに執着していたのかもしれません。
呪われた血と運命で綴られた自らの人生を。
生きた証を永遠に刻みこむために選んだ終止符だったのでは。
そう解釈すると、シキに向けた歪な愛情とも呪縛とも取れるような気がするんです。
・・・改めて思い返すと、咎狗には 「n ×シキ」 という別のルートがあったようにも思えます。
そして、n の絶対的強者である感情も、恐怖と敗北感を味わったアキラの感情も、両方を胸の内に抱いていたキャラが 「シキ」 だったんだろうと。
咎狗TB、シキルートED1、2に共通した思いが見え隠れするんですよね。
アキヒトルートは、今でも「惜しい!」と思えてなりません。
個別キャラと迎えるこれまでのEDとはまったく異なる感情の発見とEDをアキラにもらたしただけに、残念でしかたないです。
他人とはつるまなかったアキラが、ケイスケを失い、アキヒトやトウヤとの出会いを通して、仲間という存在を知っていく・・・・この過程をもっとじっくり描いて欲しかった!
最初からアキヒトがほぼ事情を把握しているが故に、アキラに全てを淡々と説明して、さくっと終わっちゃっている感が否めなくて。
アキラに対するジレンマとか、絵を描こうとしたきっかけとか思いとか。
アキヒト自身、記憶があることで苦悩する姿や、徐々に真実を知っていく過程で葛藤する様をもっと掘り下げて描いて欲しかったなぁと思います。
新たなED曲 「追憶の風」 が、この上ないシンクロ率と完成度なんですよね・・・。
惜しい・・・・本当にもったいない!
TB からその部分を加筆修正して、TBP に収録・・・・だったら、ものっすごく嬉しかったのに。
ポーカーに当てた容量を、その分に費やしてもらって、ぜひ見たかった・・・・。
テンションのままに率直に書いたので、相当ぐちゃぐちゃな感想になってしまいました(汗)。
あと少しで TBP のプレイも終わりだけれど。
これからも咎狗は、変わらず 「一番好きなBLゲーム」 だと思っています!
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